樋口一葉の碑があることで知られる慈雲寺は、西暦1338年~1341年に夢窓国師てによってひらかれた禅寺で、江戸末期には地域の寺子屋-私塾として多くの人材を輩出してきました。
この寺に樋口一葉の碑が建てられたのは、一葉の父が少年時代この寺で学んでいたという理由からといわれています。
また、同じく境内にある「一葉女子碑」には、建立に際し、幸田露伴、与謝野寛、与謝野昌子、坪内逍遥、森鴎外、島崎藤村など、明治・大正を代表する文化人が賛助人として名を連ねています。
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樋口一葉の碑があることで知られる慈雲寺は、西暦1338年~1341年に夢窓国師てによってひらかれた禅寺で、江戸末期には地域の寺子屋-私塾として多くの人材を輩出してきました。
この寺に樋口一葉の碑が建てられたのは、一葉の父が少年時代この寺で学んでいたという理由からといわれています。
また、同じく境内にある「一葉女子碑」には、建立に際し、幸田露伴、与謝野寛、与謝野昌子、坪内逍遥、森鴎外、島崎藤村など、明治・大正を代表する文化人が賛助人として名を連ねています。
恵林寺は、武田信玄の菩提寺として知られ、本堂裏の庭園は夢窓国師の代表作で鎌倉時代のものです。
この寺は、武田氏滅亡直後、織田信長軍によって焼き討ちされましたが、その折、炎上する三門桜上で快川国師が100名あまりの僧とともに「滅却心頭火自涼」(心頭滅却すれば火もまたおのずから涼し)と唱えて三門と運命をともにしたというエピソードは有名です。
また、境内には武田信玄宝物館があります。
向嶽寺は、武田信玄の8代前に当たる武田信成によって開かれました。臨済宗向嶽寺派の大本山となっています。
この寺はたび重なる火災により当時の姿はとどめていませんが、難を逃れた中門は桃山時代の様式で、重要文化財に指定されています。
また、この寺には、鎌倉時代に書かれた寺宝の「絹本著色達磨図(けんぽんちゃくしょくだるまず)」があり、八方にらみの達磨とも呼ばれ国宝にも指定されています。
旧高野家住宅甘草屋敷はJR中央本線塩山駅の北口にあり重要文化財に指定されています。
高野家は、江戸時代に薬用植物の甘草を栽培し幕府に収めていました。この住宅は19世紀初頭のものと考えられ、中央部に2段の突き上げ屋根のある甲州地方の特色ある建物となっています。
桃の節句の時期にはここ甘草屋敷ではひな人形が盛大に飾られ訪れる人を楽しませています。また邸内には「こども図書館」があります。